乳の虎 良寛ひとり遊び

                            1993年1月1日放映 NHK 演出:兼歳正英

                            出演 良寛(桂枝雀)、貞心尼(樋口可奈子)、京屋藤兵衛(六平直政)

あらすじ

 乳の虎とは子連れの虎、必死に子を守る母親の虎。良寛は言う、「たとい乳虎のむれに入るとも、名利の路(みち)をふむことなかれ」。

――物語は、長岡一の器量よしとして知られるマスが、かごに乗って医者・関長温に嫁入りするところから始まる。マスはその途上、子どもたちと楽しそうにまりつきをしている良寛を見るが、その人が自分の心を捧げる人になるとは夢にも思わなかった。

 マスは夫の師である原田医師から良寛の話を聞いた。良寛はもともと山本栄蔵と言い、出雲崎で橘屋を経営する大名主の長男だった。しかし、ライバルの京屋があくどいことをしてのし上がってくるにつれ、橘屋は零落していく。栄蔵の父、山本以南はお上に京屋の不正を訴えようと江戸に出立、栄蔵は橘屋の責任を任されるが、罪人の処刑の時の立会人になって吐きそうになったり、漁民の労役を軽くしてほしいという要求を代官のところに持っていって剣もほろろに追い返されたりする。若い栄蔵にとって名主の仕事は荷が重いものだった。ある日、泥酔してつぶれ、そのまま出家する。

 母親、山本秀子は、江戸に向かった夫は行方不明、頼みの息子は出家、これに自身の病気が重なって入水してしまう。父親は曲がった世の中を正そうと勤皇の志を立てるが京都で横死する。

 栄蔵が僧・良寛となって故郷に戻ってきたのは13年後だった。まず処刑場で何日も過ごす。佐渡で、金山で酷使されて逃げてきた金堀り人夫(かなほりにんぷ)が良寛の目の前で非業の死を遂げる。無一文で托鉢して歩く良寛を見た京屋は「橘屋はこじきになったぞ」とあざ笑う。家をつぶし、零落した弟、山本由之に良寛は諭す。「欲を捨てたら気は楽じゃ。暑い寒いは仕方がないが気持ちさえふんばればな。おいしいものを食うて、…人を見下して指図したい、そんな欲を捨てるには気持ちも体もよほどふんばらぬと負けてしまう。」

 マスの夫が病死、マスは子がないため家を追い出される。良寛が長岡藩主からの仕官の誘いを断るのをのぞいて見て「良寛さまはただ子どもとまりつきする坊さんではなかった。鳥肌が立つような人だ」と驚く。「出戻り」のマスを京屋が追いかけて妾にしようと執拗に迫ってくるが、マスはこれを振り切って出家し、貞心尼となる。

 良寛が子どもたちにした話、……ある所にサルとキツネとウサギが仲良く住んでいた。そこにおじいさんが訪ねて来て、食べ物を乞うた。サルは木の実をキツネは魚を取ってきたが、ウサギは取るものがなく、火をおこし、自分の体を焼いて捧げた。するとおじいさんは天のみかどとしての姿を現し、ウサギを生き返らせ、月の都に連れて行った。「あの月のウサギは今話したウサギだわ」。

 貞心尼はあこがれの良寛にふさわしい人間になるため、7年待って自分を磨き、手紙を出したところ許可が出て、良寛に会いに行く。「思った通りの人だった」(良寛)。貞心尼は良寛への思いを告げようとしたが、良寛は「直接言ってはならぬ」と制する。二人は思いを歌を介して清い交わりを結ぶ。

 良寛が病気で死が迫り、貞心尼は必死で看病する。死の床で良寛は言う。「おシャカ様は欲を捨てよ、快楽を捨てよと言い続けた。しかし、シャカがいなくなれば自由になれる、そういう者どもがのさばるのじゃ。」

 良寛は闘っていたのだ。その執念と現実が混じり合い、漁民たちが京屋を襲撃する。京屋は「何でわしが負けるんじゃ」と絶叫しながら息絶える。

 エピローグは良寛が死んだ後の貞心尼。彼女は明治5年まで生きた。

 

研究展望

 良寛を慕う人は今なお絶えることがありません。早坂先生はその人々の思いをくみとって、これを見た人の人生を変えるようなみごとな作品を書き上げました。感動作です。放送ライブラリーでしか見れないのはあまりに残念で、さらなる再放映やDVD化を期待したいです。

 もっとも、これが史実に沿ったものかについて疑問があります。もちろんテレビドラマはドキュメンタリーではないので、史実と細部まで一致する必要はありませんが。良寛の父親は殺されたのではなく入水自殺のはず。母親は自殺ではなく病死でないのでしょうか。良寛は実際に佐渡に行って、金堀り人夫に会ったのでしょうか

 自分の体を食べるために差し出したウサギの話は、仏教説話集「ジャータカ」や「今昔物語」に収録されている話です。良寛がこれを子どもたちに語ったのだとしたら、この物語が良寛の信仰の中で大きな位置を占めていることになりそうですが、それを裏付ける資料がありますか。これは仏教説話とはいえキリスト教にも通じるような深遠な教えを語っている話です。この話に感動した早坂先生がドラマの中に挿入した可能性が高いと私は思っています。

  良寛の生涯を材料に、早坂先生がその人生観、死生観のありったけを突っ込んで作った作品ではないでしょうか。

 良寛に詳しい方のご教示を願います。

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