渚に死のうと書いたとき

                           1976年9月26日放送 東芝日曜劇場 MBS制作 演出:西前充男

                                  出演:ミキ(浅野真弓)、オッチャン(藤岡琢也)

                                     その他、親泊良子、北島角子、小林芳宏

あらすじ(記憶をもとに再現しました。ネタバレ)

 暴走族に母と兄をひき殺され、自分も両足マヒとなってしまった少女ミキは、生きる意欲を失い、故郷の沖縄に帰って死にたいと考えていた。そんなミキのつきそいを引き受け、一緒に沖縄に行く船に乗ったのがオッチャンと呼ばれる男だった。

 船の中でオッチャンは懸命にミキの世話をする。ミキの気をまぎらわそうと「ビューティフル・サンデー」を踊ったり、手旗信号を教えたりした。「キ、レ、イ。ミキちゃんのことや」、しかしミキは顔を曇らせたまま。ミキが車椅子に乗ったまま海に飛び込もうとするのを止めたこともあった。

 沖縄に着き、ミキを背負ったオッチャンはミキの祖母の家を探して歩く。途中でオッチャンは、あれが沖縄海洋博の建物だと言って指さすが、ミキの気は晴れないまま。(関係者には申し訳ないが、筆者には、現代建築の粋を集めた建物が、死を考えている人の前にむなしく見えた。)

 (オッチャン)「足がなくたって手もあれば顔もあるじゃないか。目も耳も内臓もあるじゃないか」。(ミキ)「足がなかったら何もできないじゃないの。危険なことがあっても、自分の身を守ることもできないじゃないの」。(オッチャン)「オッチャンが守ってやれば いいじゃないか」。ミキは泣きながら、オッチャンの胸を手で打つ。

 ミキのことは暴走族が生んだ悲劇としてニュースになり、それをオッチャンも見ていたが、テレビに映ったオッチャンを見て仰天した女性がいた。オッチャンの娘である。オッチャンは実は殺人犯だった。娘が三人組の男にレイプされてしまったとき、オッチャンは報復のためこの三人を殺し、その後警察の目をのがれて逃げ回っていたのだ。娘は自分が幸せな結婚をし、子供も生まれたことをぜひ父親に見せたいと飛行機で沖縄に飛び立つ。

 (オッチャン)「死んだらあかんでー。オッチャンも最初は死ぬつもりやったんだ」。今度はミキが驚く。「オッチャン、死んだらあかん」。(オッチャン)「オッチャンはミキちゃんと一緒や。最初死ぬ気だったのはミキちゃんと一緒。死ぬのをやめたのもミキちゃんと一緒や」。ミキは歩行訓練を始める。互いに支えあって、二人とも立ち直りつつあるようだった。

 ある朝、「オッチャンがいない」。ミキは車椅子に乗って、ありったけの力をしぼって渚に急ぐ。見るとオッチャンが水に入り、沖に向かって歩いていくではないか。「オッチャン、死んだらあかん」。ミキは手旗信号まで使って必死に「シンダラアカン」と呼びかけるが、オッチャンはそれを横目で見ながら死んでゆく…。 ミキの言葉では尽くせない衝撃が伝わる。海と空と地をアップで映して終了。

 

研究展望

 自殺志願者を必死に思いとどませようとした人が自殺してしまう、こんな話は今まで見たことがありません。これは生と死の深淵を覗かせる稀有な作品です。

 ドラマはオッチャンの死で終わっていて、その後ミキがどうなったかわかりません。早坂先生がオッチャンとミキのどちらに思いを込めたのかもはっきりしません。そのため、ミキが絶望に負けて死んでしまうという解釈も可能かもしれません。しかし私は、必死で「シンダラアカン」と叫んだミキが、自分の口から出たその言葉によって支えられ、絶望の中でも生き抜いていくことを信じ、そこに彼女の魂の再生を見ています。そして、それと同時に、自分自身もたとえ何が起ころうとも人生をあきらめないことを心に誓ったのです。私にとって人生を変えた作品でした。

 この作品は現在まで一度も再放映されていません。MBSに問い合わせたところ、作品の保存記録がないというまことに残念な結果で、新たな発見が望まれます。台本の所在もわからず探索中です。勉誠出版で出版されるはずだったのに企画倒れになった「早坂暁全集」には掲載されることになっていました。

 1977年に同じく東芝日曜劇場で放映された「巣立ち」は、この作品とはストーリーは違うものの、やはり南島が舞台で、若者の魂の再生を描いていることで共通する部分が多いと思われます。

 

 なお、「渚に死のうと書いたとき」には琉球舞踏の場面が入っていたと記憶しています。早坂先生の70~80年代のテレビドラマには、この作品と「巣立ち」以外にも、南島への憧れをうかがわせる場面やセリフが見受けられたりします。これは当時の”沖縄ブーム”を意識したものかもしれませんが、早坂先生が1972年の沖縄の日本復帰のはるか前から、沖縄の置かれている困難な状況に心を寄せておられたことも踏まえておきたいものです。      

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